________________________ 舞踏
普段、私たちは個のからだを自分が必要だと思うもの、もしくは社会が必要だと思うものを得るための道具として利用する。
普段、私たちは社会がはだかの命やありのままを隠すように仕向けていることに気づこうとしない。
普段、私たちはからだが変容しうる性質を内に抱いていることを忘れている。
舞踏とは、完全なる存在の夢。
・存在を示すこと。無関心で受動的に自動人形(肉と無感情と無感覚の機械)ように存在することよりも・・・。
・自由に、流動的に、 常に変化して、変幻自在で、枠から外れたようになること。
・柔らかで硬く、速くて遅く、緊張して緩んでいて、潤い乾燥して、有機的で無機的で、新しく古く、男で女で、生きていて死んでいて・・・。
これが舞踏へと向く理由である。上手にすることを考えずに、ただ試す。ただ、あろうとする。
しかしながら、 外から中へと自由に流れていなければならない私たちの意識、血、呼吸、生命エネルギーは社会の規則や慣習に押しつぶされている。
土方巽は毎晩、自分の肉体に梯子をかけて降りていると言った。彼が『禁色』を発表して50年が経つが、この言葉は今も色あせていない。私たちは今でもからだの中を覗き込む必要があるのだ。一人ひとりが私たちの生命の本質へとたどり着くために、からだの闇へと入り込む試みを繰り返しする必要がある。一人ひとりの性質は違う。一人ひとりが他人から学ぶことは出来ないその在り方を、深いところに、持っている。両親からでも、友達からでもなくて。しかし深いところに私たちはそれぞれの踊りを持っている。 これが私たちの舞踏だ。舞踏の師はこころとからだを開く方法を与えてくれるだろう。しかし、最後には自分自身の本性を外に出さねばならない。自身の魂を外に出すとき、これが舞踏だ。自分だけが見つけ出せる。自身の中を見つけたいと思わなければならない。批判や自己欺瞞なくして。私たちはみな明るさであり、暗さであるのだ。
(略)
私たちはそれぞれ、世界の優しさとむごたらしさの可能性を秘めている。いいとか悪いではなく、それが単に自然なのである。しかし、舞踏を踊るには、それを本当に見つめなければならない。嘘をつかずに自身の中を覗かなくてはならない。一度自身が何であるかに気付いたなら、何になるのも簡単であろう。
今日では、マルチメディアを通して世界の隅々の色々なことについて情報を得られる。そして、私たちの日常生活を知らない人々に明かすことも出来る。なので私たちは有名ではないがさらされていて、感じてはいないがすきだらけである。 しかし、私たちのいのちはマルチメディアによって本当に明かされることはない、だが、それに屈服することはあるだろう。テクノロジーを通して他人の何を学べるのだろうか? それは、彼らの皮膚や服や所有物だろうが、それ以上深くは知ることが出来ない。
その場に浸ることなくして、海外の国を掴むことができないように、命の基礎であるからだの中に入ることなくして生きることは出来ない。それぞれが人間の形をしているけれども、その形の中には沢山の他の生きた、もしくは死んだ、もしくは目に見える、目に見えないからだを内包している。
どのようにからだの中のそれぞれのいのちに繋がることが出来るだろうか?どのようにして他の生命との交差点へと辿り着けるだろうか?どうのようにそのいのちを生きられるだろうか?
この探索が私たちの踊りとなるだろう。
*解釈、英語への翻訳、拡張と校正・・・: Danse Perdue
*このページの文章に関する概案、日本語への翻訳: 大田佑子
>>> Here, you will have complete version of the text (in English).
________________________ Millenary Euphoria?
中上健次の作品『千年の愉楽』から。この本は6話の短編からなっており、それぞれが紀伊半島のある部落に住む中本一統の男達が題材である。彼ら全員が退廃的で暴力にあふれた人生に死ぬが、彼らの生きようは悲劇的ではなく、深い陰影と濃い光にくまどられ、無数の息づく生命の中ではかないが永遠に続くかのような人生として描かれている。この世界の明るく暗い空気は、大田佑子の舞踏/踊り/人生の中で反響している。
________________________ and Yuko Ota...?

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そこここで、2000年より主に舞踏のパフォーマンスをし、2005年より舞踏のワークショップを開催する。
1999年に竹之内淳志のワークショップで舞踏に出会い、それからよく、竹之内淳志とパートナーである小宮広子(ミュージシャン)にダンサーとして、家族として、友人として、そして人間として育てられた。
2003年にパリに引越したとき、すぐに多ジャンルのアートカンパニー Les Transe-Mutantsの活動に巻き込まれ、2006年までレギュラーメンバーとして活躍。 そこでの活動で身体的・精神的な気付きを得た。
パリにいた間は、アートアソシエーションのPLURIEL Le Tunnel においても活動をし、そこでのアーティストとの出会い、とくにLe Tunnelに多くの貢献をしてきたMariette Barret と André Sarfatiとの出会いは彼女のあり方に影響を与えた。
2007年の夏、文字通り根無し草となる。インドでの3ヶ月滞在で生と死に満ちた環境に浸かる。実に満ちていて、空気中にさえ感じることが出来た。そして、リシケシでUsha Deviによるヨガ集中コースが彼女の身体意識を深めた。
それから、ワークショップ、パフォーマンス、友人訪問や無用で、日本、フランス、イタリアの街々をめぐった。 その途中アメリカから来た舞踏を中心とした多ジャンルアート集団のDeath Posture (現在は Danse Perdue)に出会い、 対象物の息遣いを見つめることを思い出させた。
今日、彼女はまた定住者の生活に戻り、今まで得たことを深めたいと思っている。
主な活動歴
gyoku - 玉 (ソロ、2005)
les enfants perdus - who killed the inner child? (ソロ、 2009)
Layers (街での即興)
INNATUS (森、野原、川、海、山などでの即興)
And do you hear me? (グループ、 2008)
PermaDream (グループ、 2010)
Le Sacre du Printemps of Igor Stravinsky (Co. Les Transe-Mutants & Quartette Le Bruit qui Court, 2006)
U-Pipe (監修・振付 竹之内淳志、 2007)